cafe' oriental

緑がかった蛍光灯は東南アジアの象徴に思う。薄暗い夜道に浮かぶちらちらした光は幻想をも想わせ、
その光に群がる蛾や甲虫のごとく呼び寄せられる不思議な磁力を感じさせる。
そこはいつかどこかで失った純粋さと生きる活力を思い出させ、喜びの価値はどこにあるのかを知らせて
くれる地上の理想郷だ。

Tapestry  CAROLE KING (1971)
60年代初頭より現在まで第一線で活躍するシンガーソングライター。彼女の係わる
ヒット曲は数多くあるが代表作はこのアルバムだろう。日本語タイトルは”つづれおり”
彼女のもの悲しげの声やメロディはいつかどこかの情景を想い浮かばせる。
その哀愁がこもった旋律は遠くアジアの島国にも共鳴させ、SSWブーム起き
たくさんの歌姫達を登場させた。秋の夜長に合う素晴らしいアルバム。

食堂の裏を流れる川に動物の死体が流れテーブルの下ではゴキブリが走り回ったとしてもそこで生き抜か
なければいけない現実もそこにはある。でも悲しみを不幸と捉えず微笑みを盾にする力強さもそこにはある。
全身を汗で湿らせ砂埃の中を進めば向こうにある光がいっそうに眩しく感じ、そのありがたさは何よりも
暖かさに溢れていることだろう。そこの人達は何者かに常に祈りを捧げる白昼の空想家で悲壮感は微塵もなく
理想を追い続ける人間本来の心を携えている。
そこに立ち向かえる自分があるかどうか確かめるのは悪いことじゃない。
 
China Girl    VAN STEPHENSON (1981) 
タイトル曲の China Girl はなんともオリエンタルムードたっぷりの美しい曲だ 曲の主人公は初めてオリエンタルワールドに触れたのだろう、なかなか交じり合えない ウエスタンワールドとの接点を探す彼はそっちの世界に引き込まれていく。 take me ino your world, take to jasmine place, to know me is no sin,
けれど僕は想う、その真実は決して交わることはない、それは永遠の神秘だから このジャケットはオリジナルだが国内盤には僕のクレジットも入っている。

多くの街には大河が見られ赤土で茶色に濁った流れには様々なものを見ることが出来る生きた河だ。
本当の河の役目がそこには有りその価値は計り知れない。
湿気が蒸せる季節にも幾ばくかの風は流れ、生活臭の混じった漂う匂いや煙を運び去って行く。
その浮遊感と一体になれればその河を共有する人々の生活感や人生観も垣間見ることもできる空間だ。
時折、流れてくる浮き草は蛇行を繰り返す流れにその形を変えながら集まったり離れたりを繰り返す。
それは人生の出会いと別れを暗示するごとく自然な形でどこかに落ち着き朽ちて逝くことだろう。

腹這いになった犬たちを避けながら出店で狭くなった薄暗い通路を歩いてゆく、剥がれた敷石の間には
先程のスコールで水たまりが出来ていた。
何処までも続くその路地はいくつかの枝分かれを繰り返し決して再び通じ合うことはない。
それはその文化を表現していてそれに不便を感じるものは誰もいない。何故ならばそれが人生そのもの
だから諦めることも大事な要素となる。それが解らないと苦しみが苦しみを呼び寄せる。

Bloody Tourists  10cc (1978)
UK出身でBeatles亡き後を引き継ぐようなサウンドで色々新しい試みを見せてくれる。 レコードカバーのコンセプトが面白く、デザインはヒプノシスという当時注目された
異色のデザイナー集団でピンクフロイドやレッドツェペリンなどが代表作だ。
僕達も大いに影響されたもので、後に彼等は松任谷由実も手がけている。
B面にあるTOKYOという曲では、どうも彼等は70年代の東京に恋してしまったようだ

どこかで床の上で唐辛子をすり潰す鈍い音がして、通常なら受けつけ難い匂いが充満している。
その方向から子供達が飛び出し、立ちすくむ者の脇をすり抜け微笑みで人を拒絶する。
この勝負には勝ち負けはあるのだろうかと異邦人は考えるがその時には既に勝負がついている。
体感することが全てで考えてはいけない、街ゆく僧侶のごとく摂理に身を任せることが必要だ。
共通の価値観なんで何処にも無い、ただその妄想を楽しんでいるだけだ。
そのなかで快適さを見つけられた者が勝者と云えるかも知れない。

緑がかった蛍光灯は時には色を着けられ縦横無尽に取り付けられる、そのネオンの原点の様な装飾は再び
異邦人を惹きつける。それは遠い過去を振り返る起点となり、いつしか心の扉の鍵を受け取ってしまう。
ようこそ Cafe' Oriental へ