yokohama

横浜は住んだことがないのが不思議なくらい仕事やプライベートでも関わり合いが深い所だ
小さな子供の頃のイメージではいしだあゆみのブルーライトヨコハマや 青江三奈の伊勢佐木町ブルースから来ていたが当時は山下公園ぐらいしか行ったことはなかった
それが高校生になるとしばしば通うようになる、その頃のイメージは荒井由実の山手のドルフィンだ
東京とは大分雰囲気の違うところで格好のデートコースになった

MISSLIM   荒井由実 (1974)
バックミュージシャンにキャラメルママ、シュガーベイブのメンバーを従えた ユーミンの2ndアルバム、なぜか当時大流行の暴走族にも絶大な人気があった この中の一曲に山手のドルフィンが出てくる海を見ていた午後という楽曲がある ドルフィンというレストランが実在すると評判になり皆探しに出掛けたもので その場所は山の上の米軍キャンプ根岸側の入り口の丁度前にあった。 このアルバムが引き金になり日本のミュージックシーンも変わっていった様に思う。

写真専門学校に入り進級制作の舞台に選んだのも根岸の米軍キャンプだった
ここは素直には入れる場所ではなかったので根岸の崖を登りフェンスを飛び越え進入した
そこはまさしくフェンスの向こうのアメリカで横浜といえどもその日常は別世界だった
小一時間ぐらいだったろうかあちこちを撮影をしてまわっていたそのとき
一台のグレーに塗られた車両が近づき僕は捕らえられ車の中に入れられてしまった。


U.S. FLEET ACTIVITIES YOKOSUKA, 
YOKOHAMA DETACHMENT, 
NEGISHI NAVY HOUSING COMPLEX (1977)
初めて目にしたアメリカだった、
広大な芝の丘陵に点在する塀の無い白く塗られたハウスや
そこら中で廻るスプリンクラー芝刈り機で庭を優雅に整備
している姿などが真っ先に目に焼き付いた 彼等にとっては忌まわしいベトナム戦争も終わり何が正義
か解らない自分だったが、その豊かさだけはすぐに解った 写真はその時撮った1977年当時の根岸米軍キャンプ内

YOKOHAMA   柳ジョージ&レイニーウッド (1979) 
横浜を題材としたアルバム、70年代のウェットな感じがよく表現されている
GROOVY GIRLという曲にヒップアップのカマロに乗って本牧埠頭をブッ飛ばすという
詞がありこのフレーズが耳に残りこれに憧れたものだった
最後の曲には"フェンスの向うのアメリカ"がある歌詞からすると根岸米軍キャンプの
フェンスの事を歌っているのだろう、まさしく僕にも"俺には高すぎた鉄のフェンスで"
これを聞いてあの時を鮮明に思い出した。

初めて実際に見るMP(ミリタリーポリス)だった。
車が止まった先は異様な建物の前でその時は旧根岸競馬場観覧席跡とは知らず不気味な所だと思った
その中の裁判所のような部屋に連れていかれ尋問を受けその場でカメラからフィルムを抜かれた
そして暫くして日本人の警察官に引き渡された。
初犯だったのでその場で厳重注意だけで釈放されたが、その時治外法権の意味を初めて理解した
実は撮影したフィルムは3本あり、とっさに隠したTri-X2本は辛うじて生き残り
その年の進級制作はなんとか完成した。

The golden Cups Album Vol.2   THE GOLDEN CUPS (1968)
グループサウンズが華やかしきり頃、本牧のクラブ出身の異色なグループが登場した
大ヒットした長い髪の少女は歌謡ポップスの様相だが本質はR&Bを主体とした
サイケな音造りをしていた、日本のロックの黎明期を支えてきたサウンドで
テクニックもあり、当時はニューロックと呼ばれていた。
後期に柳ジョージもベーシストとして参加、解散後一部は後のゴダイゴに発展
当時の横浜を代表するかなり横浜臭いバンドだ。

それから何年かが経った、ドルフィンも姿を変え根岸のキャンプも縮小、その建物も今は貧相にみえ
そして広大な本牧のフェンスがなくなった、あの時は幻だったかのように時は素早く過ぎ去った。
それでもフリーランスになった写真家はロケーションに横浜をよく選んだ
残り少なくなった幻を追いかけるように、積み上げた夢を乗せたワゴンは今日も山手本通りを走り抜ける。