windsurfin'
最初になる今回は、そんなに本気でやっているわけではないけど、
いろいろと関わり合いがあるウインドサーフィンとの出会いを話そう。
70年代後半、サーフィンブームに乗って、よく車にサーフボードを積んで第三京浜を飛ばし
辻堂あたりに出かけるようになっていた。
その頃から少しずつ見るようになったのがウインドサーフィンジャパン社のサーファー挺と
呼ばれるセイルボードで、まだその時はそんなのを横目で見ていた。

Silver  SILVER  (1976)
彼等はこのアルバムしか残していない、こんな素敵な曲達を残して
どこへ行ったのだろうか。
イメージ的には週末の朝の第三京浜下りに似合うアルバムかな
特にB面3曲目のWham Bamなんか窓を全開にして片肘出して聴くといい感じ 車はボロい方がいいな

Life Line  PABLO CRUISE (1976)
その頃聞いていたレコードがパブロクルーズ二作目のこのアルバム。
初めて聴いたのはまだ人気も少ない六月の新島で当時羽伏海岸に一番近かった
民宿でのこと。その極普通の民宿には外国人サーファーが多数滞在していて、
彼らが大音量で繰り返し聴いていたのがこの中のZero To Sixty in Fiveだった。
邦題はフリーライドサーファー、ドライヴ感のあるサウンドは海に入るまえの
イメージトレーニングに最適だったのだろう。
そう、新島といえば当時は夏場の喧噪が今とは比べ物にはならないぐらい凄まじかったのだが、
その時期以外のこの島はとても静かでのどかな所。
小さな空港も見事に簡素で海岸も整備されていなくローカルムード漂うヒーリングプレイスだった。
Habushi Beach /Niijima 
かつての羽伏海岸の入り口、今はこの小屋は
なく両端にコンクリートの建物が海の前に
立ちはだかっている。
本当に気持ちの良い場所だったのに、
なんでそんなことをするんだろうか

461 Ocean Boulevard   Eric Clapton (1974)
この頃の新島は結構レイドバックしていて
マイアミで録音されたこのアルバムが持つ雰囲気が似合っている
461 Ocean Boulevard とはジャケ写に写っているこの家の住所、
僕も近くに行ったことがある。マイアミビーチから海岸沿いの道を10マイル程
北に上がったゴールデンビーチにこの家はあった
晴れた昼下がりに聴くとウトウトしていいかも
話が飛んでしまったが、初めてウインドサーフィンを買ったのは渋谷にある丸井だった、      
1981年の5月の中頃だったと思うが、それは店頭にディスプレイされていた。
今ではとても考えられないけど、ウインドサーフィンにもそんな華やかな時期もあり、 何を考えたのかお金も無く乗れもしないのに衝動買いでそれを手に入れた。 それから友人の伝手を辿り数少ないウインドサーファーを捜しだし教えて貰うことになる。
当時は全てのセールに番号が振られグループ単位で活動するように指導されていたようで
そこで六本木を拠点としていたフリーキーブロスというフリートに所属した。
初めてのゲレンデになった場所は時折雨が降る江ノ島海岸西浜、ボードはサーファー挺ではなく その年に発売されたジェットという名のツインフィンでマストが多少前後に移動できるニューカマー もうブームもジョイントのベースも木製ではなかったが、それでも重量はまだかなりあり現在の倍以上 大きなセンターボードは木製で手で脱着する方式だった。 乗りこなすのは思うより難しかった、当時23才だったがその時でも体力的にきつく感じ、
既に始めるが遅すぎたと思った程。五月後半から始めてそれからは毎週のように日曜の湘南通い、 幾度か江ノ島まで流されるハプニングもあったが、何とか風を捕まえられるようになったのは もう海も賑わう八月の始めになっていた。その時期、江ノ島海岸西浜は海水浴場そこで 七里ヶ浜の駐車場下に移動、ウインドサーフィンでの初めての感動の時を迎えた。